住所 |
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〒564-0073 大阪府吹田市山手町1-8-15 所在地マップ |
TEL/FAX |
06-6388-4512/06-6389-3411 |
管轄 |
長司祭 ゲオルギイ 松島 雄一 |
osaka.orthodox.church @gmail.com |
URL |
http://www.orthodox-jp.com/osaka/index.html |
1874(明治7)年に始まった大阪地方の伝道は、1878(明治11)年3月に実を結び、聴教者37名が領洗し、講義所を開設、大阪正教会が誕生した。
1910(明治43)年7月、大阪天満橋に木造ビザンチン式の聖堂が建立されて、大阪生神女庇護聖堂と名付けられた。なお、この聖堂は先に1908(明治41)年に建立された松山ハリストス復活聖堂(関東大震災後東京に移築)と同様、日露戦争のロシア戦没者を記憶するため、ロシアのハリスティアニン兄弟姉妹の献品、献金により建立されたものである。
1945(昭和20)年6月大阪生神女庇護聖堂は惜しくも戦災により灰塵に帰した。
1962(昭和37)年4月、大阪吹田市の現在地にビザンチン様式を取り入れた近代様式の鉄筋コンクリート造りの大阪生神女庇護聖堂の再建をみた。イコノスタスは、モスクワの聖像画師グリヤノフが制作したモスクワのクセニヤ、フェオドロブナ、コレスニコワ夫人によって四国の松山正教会に献納されたが、東京を経て大阪教会に移設した由緒あるものである。
大小あわせて六つある鐘楼の鐘は、1910(明治43)年、モスクワのイオアン、アンドレエイチ、コレスニコフ兄によって大阪天満の聖堂に献納され、そのうち2つは戦時中に供出したので新たに鋳造されたが、1910(明治43)年の建設当時のものとして現存する唯一のものであり、今も祈りの時を告げている。
なお、イリナ山下りんの「機密の晩餐」、「生神女マリア」のイコンが堂内に掲げられている。また、正教会の聖書、祈祷書類を亜使徒聖ニコライ師と共に日本語に訳した、パウエル中井木莵麿師は大阪正教会の信徒であり、江戸時代に大阪の公許学問所、懐徳堂の最後の学校預かり人兼教授で、漢学者であった。