1月6日/1月19日 (ユリウス暦/グレゴリオ暦)
出典先:日本聖書協会 新共同訳
(ユリウス暦1月6日/グレゴリオ暦1月19日)
時々、私達は少年時代の我らの主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)について人々が作った物語を目にします。でもそれらの物語は正しくはありませんし、時にはまちがってすらいます。叡知をもった神様は、イイススの子供の時についてただ一つだけ私達に語られました。聖書が私達に教えているのは、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)が12才の時のことです。イイススは宮に行き、祭司や教師たちに律法と聖書について教えられた、と言うことです。これは、ハリストス(キリスト)がまず最初に律法と教えを与えられた本当の神様であることを意味しています。イイススは律法を良く知っており、教師であり、そして律法と聖書に書かれていることを実際に 成就させるために来た方です。このでき事をルカ伝2章42節から49節の中からお話しします。ハリストス(キリスト)の地上での生活について次にお話しすることは、主の洗礼についてです。私達が勉強するこの大祭は「神現(Theophany、Epiphany)」と呼ばれています。
この日、私達は、私達の神様であり、救い主であるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の洗礼をお祝いします。聖書ではイイススが30才の時、洗礼を受けるために自らヨルダン川にでかけて行かれた、と私達に語っています。イイススは私達に自分が本当の神であることを示され、それから天の王国について人類に教えると言う仕事を始めようとされたのでした。イイススが 正真正銘 の神であり、至聖三者の一人であることを示された様子は次の通りでした。預言者である先駆者聖イオアン(ヨハネ)はヨルダン川沿いの荒地でユダヤ人達に教えを広めていました。聖イオアンは、自分達の罪を反省し、神様に眼を向けようとする人達に洗礼を授けておりました。ある日のこと、イイススもまた、ヨルダン川に下って来られました。イイススは預言者イオアンのこと前に進み出て言われました。「私は洗礼を授けてもらうためにあなたの所に来ました。」でも、聖イオアンにはこのイイススと言う人が神の子であることが分かりました。イオアン(ヨハネ)はイイススに腰をかがめて答えました。「とんでもない!私こそあなたから洗礼を受けるべきなのに」聖神は既に聖イオアンに、イイススという人は、私達を罪と死から救うためにこの世へ来られた救い主であることを教えてありました。
たとえ聖なる預言者であるとしても、私達の救い主に普通の人間がどうして洗礼を授けることができましょう?
神様はどうすれば救われるかを私達に教えるために御自身が地上に降られたほどに私達を愛してくださいます。イイススは私達に謙遜と 温柔を教えるために、御自身が人から洗礼を受けることを甘受され、そして私達皆が洗礼を受けなければいけないことを教えられました。
聖イオアンは洗礼を授けるために深い水の中へイイススを連れて行きました。イイススが水から上がられると、大きな不思議なことが起こりました。天国が開けて鳩の形をした聖神が降り、イイススの上に止どまりました。それと同時に、「これは私が愛する子 … 」と言う素晴らしい声が天から聞こえました。
あなた方も分かるように、神様は御自身が私達のところに現れて、イイスス御自身が父、子、そして聖神の聖三者としての唯一の神であることを私達にしめされました。これをテオファニー(Theophany) と言い、「神は現れた」と言う意味です。時にはこの祭をエピファニー(Epiphany) と呼ぶことがありますが、これも同じ意味です。(「姿を見せた」あるいは「現れた」)