日本正教会

主神我が救世主イイスス・ハリストスの神現祭

1月6日/1月19日  (ユリウス暦/グレゴリオ暦)

使徒経 ティト 2:11-14、3:4-7

  • 2:11 実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。
  • 2:12 その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、
  • 2:13 また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。
  • 2:14 キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。
  • 3:4 しかし、わたしたちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたときに、
  • 3:5 神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
  • 3:6 神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。
  • 3:7 こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。

福音経 マトフェイ3:13-17

  • 3:13 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。
  • 3:14 ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」
  • 3:15 しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。
  • 3:16 イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。
  • 3:17 そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

出典先:日本聖書協会 新共同訳

我らの主イイスス・ハリストスの洗礼(神現)祭

我らの主イイスス・ハリストスの洗礼(神現)祭

我らの主イイスス・ハリストスの洗礼(神現)祭

(ユリウス暦1月6日/グレゴリオ暦1月19日)

時々、私達は少年時代の我らの主イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)について人々が作った物語を目にします。でもそれらの物語は正しくはありませんし、時にはまちがってすらいます。叡知をもった神様は、イイススの子供の時についてただ一つだけ私達に語られました。聖書が私達に教えているのは、イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)が12才の時のことです。イイススは宮に行き、祭司や教師たちに律法と聖書について教えられた、と言うことです。これは、ハリストス(キリスト)がまず最初に律法と教えを与えられた本当の神様であることを意味しています。イイススは律法を良く知っており、教師であり、そして律法と聖書に書かれていることを実際に 成就させるために来た方です。このでき事をルカ伝2章42節から49節の中からお話しします。ハリストス(キリスト)の地上での生活について次にお話しすることは、主の洗礼についてです。私達が勉強するこの大祭は「神現(Theophany、Epiphany)」と呼ばれています。

この日、私達は、私達の神様であり、救い主であるイイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の洗礼をお祝いします。聖書ではイイススが30才の時、洗礼を受けるために自らヨルダン川にでかけて行かれた、と私達に語っています。イイススは私達に自分が本当の神であることを示され、それから天の王国について人類に教えると言う仕事を始めようとされたのでした。イイススが 正真正銘 の神であり、至聖三者の一人であることを示された様子は次の通りでした。預言者である先駆者聖イオアン(ヨハネ)はヨルダン川沿いの荒地でユダヤ人達に教えを広めていました。聖イオアンは、自分達の罪を反省し、神様に眼を向けようとする人達に洗礼を授けておりました。ある日のこと、イイススもまた、ヨルダン川に下って来られました。イイススは預言者イオアンのこと前に進み出て言われました。「私は洗礼を授けてもらうためにあなたの所に来ました。」でも、聖イオアンにはこのイイススと言う人が神の子であることが分かりました。イオアン(ヨハネ)はイイススに腰をかがめて答えました。「とんでもない!私こそあなたから洗礼を受けるべきなのに」聖神は既に聖イオアンに、イイススという人は、私達を罪と死から救うためにこの世へ来られた救い主であることを教えてありました。

たとえ聖なる預言者であるとしても、私達の救い主に普通の人間がどうして洗礼を授けることができましょう?

神様はどうすれば救われるかを私達に教えるために御自身が地上に降られたほどに私達を愛してくださいます。イイススは私達に謙遜と 温柔を教えるために、御自身が人から洗礼を受けることを甘受され、そして私達皆が洗礼を受けなければいけないことを教えられました。

聖イオアンは洗礼を授けるために深い水の中へイイススを連れて行きました。イイススが水から上がられると、大きな不思議なことが起こりました。天国が開けて鳩の形をした聖神が降り、イイススの上に止どまりました。それと同時に、「これは私が愛する子 … 」と言う素晴らしい声が天から聞こえました。

あなた方も分かるように、神様は御自身が私達のところに現れて、イイスス御自身が父、子、そして聖神の聖三者としての唯一の神であることを私達にしめされました。これをテオファニー(Theophany) と言い、「神は現れた」と言う意味です。時にはこの祭をエピファニー(Epiphany) と呼ぶことがありますが、これも同じ意味です。(「姿を見せた」あるいは「現れた」)

<< 前のページに戻る