8月15日/8月28日(ユリウス暦/グレゴリオ暦)
出典先:日本聖書協会 新共同訳
(ユリウス暦8月15日/グレゴリオ暦8月28日)
使徒達の上に天から聖神が降った後、使徒達は総ての国の人達に福音を伝え、教会をしっかりとするために出て行きました。マリヤも同じように他の町へ旅をしました。聖使徒イオアン(ヨハネ)がエフェス(エペソ)の主教となると、マリヤはそこに出かけて行き、しばらくイオアンの家で暮らしました。
だが、マリヤは、ほとんどシオン山上のエルサレムで暮らしました。マリヤは教会の人達皆からたいそう愛され、尊敬されていました。マリヤはこの地上で最も神聖な人でした、というのは私達の神であるハリストス(キリスト)がマリヤのお腹に宿ったからでした。マリヤは、イイススのこの地上でのお母さんであり、イイススはマリヤに多くの恩寵(Grace)という贈り物をあげました。
だが、その人がどんなに賢くても、人は皆、遅かれ早かれ死ななければいけません。しかし、イイススはすでに私達のために死を乗り越えておられました。今ではすべての人は、復活祭の日にイイスス御自身がなさったように、墓からよみがえる、ということを私達は知っています。そこで、私達はもはや信じる人達が「死ぬ」とは言わず、信じる人達が「休む」とか「眠りに就く」と言います。それは、死が単なる眠りであり、ほんのわずかのものであり、そこで人々はいつの日か再び起き上がることを私達が知っているからです。これが、「就寝」“dormition”という言葉の意味です。つまり、しばらくのあいだ眠りに就くということです。
さて、マリヤにも静かに休む時が来たある日、マリヤがお祈りをしていると、アルハンゲル・ガブリイル(大天使)がマリヤの前に姿を見せ、マリヤは三日後に静かに休むことになるでしょうと告げました。
自分がまもなく休むことを聞いてマリヤは大変喜びました。それは、天国でイイススと一緒に暮らしたいと長い間考えていたからです。マリヤはエルサレムに住んでいるキリスト教徒皆に、自分が「さようなら」を言えるように呼びよせました。
修道女 (しゅうどうじょ)としてマリヤの家に暮らしていた婦人には、記念に一枚のマリヤの着物を贈りました。今ではエルサレムの主教となっている使徒イアコフ(ヤコブ)には遺言で、マリヤは自分がどこに葬ってもらいたいかを知らせました。マリヤの身内とか教会の信者の皆が集まりはじめました。集まった人達は皆悲しみのあまり泣いていました、がマリヤは泣くよりも喜ぶことのほうが、神様を信じる人達としては、より正しいのですと言って皆を慰めました。と言うのは、イイススに従って行く人達は死ぬことを恐れてはいけないのです。マリヤは永い眠りに就く前にもう一度使徒達に会いたく、そこで神様にお願いしました。神様はマリヤのお願いに応え、大きな奇蹟によって、使徒たちをエルサレムの聖処女のそばに連れて来られました。その日の第九時にマリヤは喜びと望みを抱きながら静かに永眠しました。マリヤの体はオリーブ山のふもとのマリヤの家族の墓に丁重に運ばれました。しかし、神様の御意志は使徒フォマ(トマス)だけはマリヤのそばに連れて来ませんでした。フォマはマリヤの永眠を聞くとすぐにエルサレムに来たのです。神様がそうされたのは、神様は教会に特別の啓示を示されたかったのです。フォマは他の使徒たちに、マリヤに最後に会えるよう墓を開けるように頼みました。使徒たちが墓を開けると、中は空でした。イイススが、マリヤの体もまた天国へ上げられたのです。このこと から私達は、イイススが生きていること、そして既に死からよみがえっていること、更にマリヤ様がすべての正教を信じる人達のことを常に祈ってくださっており、そこで難しい問題にぶつかった時には私たちを助けてくださることが分かるのです。これらのことを通じて、使徒と初代のキリスト教信者達は、生神女マリヤにも特別の尊敬を抱き、そして私達の助けをマリヤ様にお願いしなければならないことを知ったのでした。